石川保険医新聞2021年3月号[特集]

福島からの手紙

東京電力福島第一原子力発電所事故発生から10年

2011年3月11日に発令された原子力緊急事態宣言は、東京電力福島第一原子力発電所事故発生から10年経った今も、解除されていない。この間、福島県では原発周辺の避難指示区域が次々と解除され、復興の進展が報じられてきた。一方、震災関連自殺者は宮城県や岩手県に比べ突出して多い。「復興」「風評被害払拭」「オール福島」との威勢良い掛け声に、埋もれ、かき消されている声があるのではないか―――。そんな思いから、「石川保険医新聞」2021年3月号で特集「福島からの手紙」を企画し、福島県在住で、過去に当協会主催「原発・いのち・みらいシリーズ講演会」で講師を務めていただいた荒木田岳氏、赤城修司氏、千葉由美氏の三氏と、福島県から石川県に避難された浅田正文氏に寄稿いただいた。
以下にその特集記事と、紙面の都合で載せることができなかった執筆者の活動等を掲載する。

石川保険医新聞2021年3月号 特集「福島からの手紙」

  

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執筆者

専攻は地方行政、日本政治史。新潟大学在籍時には日本の青空シリーズ第3弾・劇映画『渡されたバトン』の舞台である新潟県巻町の原発建設反対運動にも取り組んだ。地方行政を専門とする立場から、東電福島原発事故の行政対応を検証するとともに、東電福島原発事故を福島だけの問題に矮小化しないために、脱原発から一歩進んで「みんなの脱被曝」を訴えてきた。

東電福島原発事故後、子どもを守る体制をつくるために「いわきの初期被曝を追及するママの会」を発足。被曝防護を訴えるためには、目には見えない放射能汚染の可視化が必要と思い「TEAMママベク 子どもの環境守り隊」を結成。いわき市の許可を得て市内の教育・保育施設、公園等の放射線量、土壌汚染の調査を行っている。結果をもとにいわき市教育委員会、除染課等との協議を定期的に行い具体的な対策を求めている。また、母親同士の情報共有、支え合うコミュニティづくりのために「ママcafeかもみーる」として毎月お茶会を開催。主にこのふたつのプロジェクトを柱に、大切なものはなにかを問いかけている。

福島県内の高等学校で美術教員として勤めながら、東電福島原発事故以降、福島の「日常のなかの非日常」をカメラに収め、ツイッターで発信し続けている。切り取るのはメディアでは報道されず、住民は気も留めなくなったが、確かにそこにある(あった)原発事故の痕跡だ。「できるだけ自分の手の届く範囲の場所を記録したいと思っている。いかに世のメディアが、復興に沸く輝く街の姿でうめつくされていても、僕は足元の僅かな傷跡を記録しておきたいと思っている。」(『Fukushima Traces, 2011-2013』 著者あとがきより)

 

東京からIターンで福島県田村市に移住。郊外の自然豊かな土地で、山菜を摘み薪ストーブを燃やす自給自足をめざした暮らしをしていたが、東電福島原発事故発生により一変。原発から25キロ離れた田村市から金沢市に避難した。田村市は2014年に避難指示が解除されたものの、汚染されてしまった土地で事故以前と同じ暮らしはできないと、金沢に留まり、原発事故の教訓を語り、原発をなくす取り組みを続けている。

 

〈 寄稿への謝辞に代えて 〉

特集の副題には「東京電力福島第一原子力発電所事故発生から10年」と掲げた。しかし、これは節目ではなく、目指すべき未来への通過点だということを我々自身に向かって強調したい。忘却に抗い、かき消される声に耳を澄まし、事故の検証と責任を追及し続けることが、原発事故を二度と起こさぬ手立てだと信じ、石川県保険医協会は今後も活動を続けていく。

2021年3月 石川県保険医協会原発・いのち・みらいプロジェクト